ワークアズライフ時代を生き抜くために(よういちえいじへ):超AI時代の生存戦略(落合陽一)を読んで①
これまでは自分の属する会社のために汗水を流して、会社から報酬=お金を得ることが普通であり、簡易であった。近年(1985年11月にビル・ゲイツがウインドウズ第1号をこの世に送り込んで(当該年度と大前研一はAG=After Gatesの紀元とした)以降)、インターネットが発展し、会社という組織を通さなくても人と人とがビジネス目的でも簡単にコミュニケートできるようになった社会において、私たちはどのように仕事をしてくべきであろうか。
これから(嫌でも)やってくるAI時代において、よく「コンピューターにはできないクリエイティブなことで人間性を差別化する」、「コンピューターにはできないことを仕事にする(それで人間として生き延びる)」ということをよく耳にするが、それは逃げなのだろうか、妄想なのであろうか。
最近「ワークアズライフ」という言葉を耳にする。ワークライフバランスの次の言葉だ。ワークもライフも区別のつかない、つけなくてもよい時代がやってくる。「こうやって生きるべき」という「べき」論がなくなる。生き方は自分で決める。意識の高い人たちが、時代感を掴むことに長けている人たちが、皆が皆、「好きなことを徹底し、それで稼げ」と脅してくる。「好きなこと」がない人間にとってはつらい時代がやってくるのであろう(私も今まさにそのような状態に陥っているのかもしれない。会社を辞めてまでやりたいことが、ない)。
嗜好性、趣味性、これらが今後の世界を生き抜くうえで最も大切なものの一つになる。
ワークアズライフ時代においては、仕事でストレスを感じてはいけない。全くストレスを感じないのは不可能にしても、仕事で抱えたストレスは仕事で発散する。本当に「ワークアズライフ」として仕事ができているのであれば、家族や他人、モノに対して爆発させることはない。
自分の趣味性、嗜好性を検討するうえで、自分の報酬性を分析することはとても重要である。
ハラハラドキドキしたい?(射幸心)
コレクション欲を満たしたい?(収集欲)
よういち、えいじは今3歳、1歳である。
「何をすればよういちは喜ぶのか」「何をすればえいじは喜ぶのか」と彼らの報酬系を見極めることは絶対の母親としての使命である。よういち・えいじの喜びのためにもっとフットワークを軽くしなければならない。
爬虫類を飼おうか、魚も飼おうか。
ピアノはそんなに好きそうじゃないな、けど教養のために続ける。これは決めた。
オーストラリアにエリマキトカゲを見に行く?
私が仕事を辞めて、保育園もやめる?
よういち、あなたは何が好き?何が楽しい?
えいじ、あなたは何が好き?何が楽しい?
何かの少女マンガで読んだが、「よういち、えいじ、楽しいことだけしよう!!」と大声で伝えたい。